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”Meine Zeit Meine Uhr. Laco.”
ラコの創業は1920年代半ばのドイツ。1925年、フリーダ・ラッハーとルードヴィッヒ・フンメルによって創業されました。
1936年、フリーダの息子であるエーリッヒによってエーリッヒ・ラッハー(ERICH LACHER)社として設立。ラコの名の由来は
「LACHER & CO」の頭文字をとって「LACO」としたものです。
ラコ創業時の時代背景をさかのぼること1880年代。主役はドイツ、オーストリア、イタリア。この三国同盟は、強力に海軍力を
高めて海外発展へつとめていました。勢いを増す三国同盟に脅威を感じていたのが、その周りの国々。ちょうど地理的に
ドイツを包囲するかたちで、イギリス、フランス、ロシアが1907年に三国協商を結びます。この頃、バルカン半島では
民族独立をめざす運動が高まり、この地域に利害関係をもつヨーロッパの列強は、独立運動に乗じて一触即発の緊張状態が続いていました。
1914年、オーストリアの皇太子夫妻がセルビアの一青年に暗殺されました。この事件は、オーストリア対セルビアだけの問題にはとどまらず
三国同盟側と三国協商側の国々があいついで参戦。それが第一次世界大戦へとつながります。
すでに鉄道が普及していたこの時代。兵士と物資の後方からの大量補給が可能になると、前線の兵士だけでなく国民全体が戦争へと
引きずり込まれました。1918年、人類史上初めての悲惨な総力戦は、ドイツを含む三国同盟側の敗北へ。
翌年のベルサイユ条約によって、ドイツは戦争の責任を問われ、すべての植民地と領土の一部を失い、父親、息子、兄弟を兵隊にとられ家族を
奪われた人々達。更に巨額な賠償金を背負わされ、物価高に苦しめられる生活。不安。絶望感。怒り。
やがて、アドルフ・ヒトラーがナチス党を率いて政治の舞台に登場し、1920年代、小さな政治グループでしかなかったナチスに、人々は
次第に引きつけられていきました。ラコが創業したのは、そのような激動の時代の中でした。
1929年、アメリカのウォール街大暴落。世界大恐慌へ。1939年、ドイツ軍がポーランドへ侵攻。その後、第二次世界大戦へと突進みます。
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